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愛知無償化訴訟・上告棄却を受けて(無償化ネット愛知の決意)

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<愛知無償化訴訟・上告棄却を受けて>

2020年9⽉2⽇、愛知朝鮮中⾼級学校の⾼級部に在籍していた⽣徒10名(現在は卒業⽣)が就学⽀援⾦不⽀給は違憲、違法として提起した国家賠償請求訴訟について、最⾼裁判所第⼆⼩法廷は、原告らの上告を棄却し、上告受理申⽴を受理しないとする決定を出しました。

本訴訟は、原告10 名が⽇本国を相⼿に「⾼校無償化」から朝鮮⾼校を排除することは不当だとして、2013 年1 ⽉24 ⽇名古屋地裁に提起したことに始まるものです。その5 年3 ヶ⽉後(2018 年4 ⽉27 ⽇)に名古屋地裁が、そして、その1 年半後(2019 年10 ⽉3 ⽇)に名古屋⾼裁が、いずれも原告側の訴えを退けました。そして、原告たちが最⾼裁に上告していたのですが、9 ⽉2 ⽇付の棄却をうけ、愛知の無償化訴訟は敗訴が確定しました。

本上告棄却に関する最⾼裁の通知には「本件上告の理由は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認⼜は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに」上告理由に該当しないので、上告受理申⽴ての理由についても、「本件申⽴ての理由によれば、本件は、⺠訴法318 条1 項により受理すべきものとは認められない」と記され、本事案についての具体的な理由は⼀切記載されていませんでした。原告の主張は⼀顧だにせずに、棄却だけを伝えてきたのです。

愛知の無償化訴訟では、⽇本と朝鮮半島の近代史、在⽇朝鮮⼈の歴史、朝鮮学校の歴史、在⽇朝鮮⼈に対する差別、「北朝鮮嫌悪」の問題など、本件の問題の根底にあるものを丁寧に論じてきました。また、原告全員および原告保護者が意⾒陳述を⾏い、在⽇朝鮮⼈にとって朝鮮学校という場がいかに⼤事な場であるかを述べました。さらには、⼝頭弁論のたび、毎回、200 名〜230 名の⽅が80 弱しかない傍聴席を求めて抽選に並び、裁判の⾏⽅を⾒守ってきました。とにかく、この問題が単なる「お⾦の問題」ではなく、⽇本に未だに根強く存在する「植⺠地主義」の問題であること、原告たちにとっては、⾃分の存在と尊厳をかけた訴訟なのだということを懸命に裁判所に(そして社会に)訴えてきました。しかし、その訴えは裁判所には届きませんでした。

地裁、⾼裁、最⾼裁ともに「不当判決」であり、私たちはこの判決に断固抗議します。これらの判決は「教育機会の均等」を謳った「⾼校無償化法」の趣旨に反するばかりか、憲法によって守られているはずの「精神の⾃由」をおびやかし、さらに、国際条約(⼈種差別撤廃条約・⼦どもの権利条約)にも違反しています。朝鮮学校や朝鮮学校に通う⽣徒に対する差別を追認するもので、断じて許すことはできません。

しかしながら、⼀⽅で、愛知の無償化訴訟の判決は、私たちに⼤きな課題をつきつけてきました。上述のように、愛知の訴訟は、真正⾯から歴史問題や朝鮮学校の存在意義を法廷で展開したため、地裁の判決では、朝鮮学校の存在意義を認めました。朝鮮⾼校の教育レベルが⼀定の⽔準を保ち、在⽇朝鮮⼈の⼦どもたちのアイデンティティ育成には⾮常に⼤事な場であることも認めています。それにもかかわらず、被告・⽇本国が裁判の途中から出してきた「論理」、すなわち、「朝鮮⾼校は総聯および北朝鮮から不当な⽀配をうけている可能性がある」ので「教育基本法16条1項の『不当な⽀配の禁⽌』規定に違反する可能性がある」という主張を⽀持したのです。被告・⽇本国は、この主張の証拠として、⾼校無償化の適⽤可否の判断に当たって考慮しないものとされていた朝鮮⾼校の教科書の記述や教育活動の内容にかかわるものを提出し、朝鮮⾼校の教育のうち朝鮮⺠主主義⼈⺠共和国(朝鮮)の⽴場に基づく部分をことさらに取り上げ、⽇本政府と異なるその⽴場が「偏って」いるものであるかのように印象づけたのです。

このような判決は明らかに、⾏政が教育に「不当な⽀配」を理由に介⼊することを容認した、⽇本の教育の⾃由を考える上でも⾮常に問題のある司法判断です。しかし、この批判だけで朝鮮学校の権利は守られるのでしょうか?私たちが今⼀度考えるべきは、⽇本社会に⽣きる私たちにしみついた「北朝鮮」に対する眼差しです。名古屋地裁の判決も、結局は「北朝鮮」を悪魔化する⾒⽅から⾃由になれず、朝鮮について朝鮮の⽴場で教育をすることを問題視し、被告・⽇本国の主張を認めたのです。朝鮮学校が朝鮮との関係を密接に持ち、そして、朝鮮を<祖国>として、朝鮮学校の⼤事な⽀柱としていること。これを丸ごと、在⽇朝鮮⼈の権利として認めていくような社会を形成することが私たちの課題として突きつけられたのです。

名古屋地裁の判決は「差別はよくないが、朝鮮学校にも問題がある」いや「朝鮮学校にも問題があるが、差別はよくない」というような⽇本社会にある「良⼼」を体現したもので、それを名古屋⾼裁も⽀持、そして、最⾼裁も結果としては認めたことになります。「不当判決!」という⾔葉で司法を断罪することは簡単です。しかし、これは司法だけの問題ではなく、⽇本社会全体の問題であることはいうまでもありません。私たちの課題は、これを思想的にどう乗り越えるかです。

愛知の無償化訴訟は、朝鮮学校と朝鮮の関係を単に歴史に迂回するだけでなく、<今>を問いました。朝⾼⽣はなぜ朝鮮に修学旅⾏に⾏くのか、朝鮮学校は、なぜ分断国家のうち北側の朝鮮を「正当な国家」としてみなすか。このような問いなしでは、この無償化排除という差別問題の根本を⾒ることができないと考えてきたからです。しかし、その戦略は、裁判所には、そして、⽇本社会には⼗分には通じませんでした。しかし、私たちは諦めません。敗訴は敗訴として真摯にうけとめながらも、在⽇朝鮮⼈が朝鮮学校で学ぶという当たり前の権利を獲得するために闘い続けます。私たち“朝鮮⾼校にも差別なく無償化適⽤を求めるネットワーク愛知“は、判決が突きつけてきた課題に向き合いつつ、今後、⺠族教育の未来をともに作ることができるような社会の形成に努⼒を絶やさないことを誓います。

2020年9⽉5⽇
朝鮮⾼校にも差別なく無償化適⽤を求めるネットワーク愛知


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