活動報告

第4回口頭弁論 原告の意見陳述書

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12月3日の第4回口頭弁論でも原告の意見陳述が行われました。素晴らしい内容に傍聴席からは禁止されている拍手があちこちからわき起こったほどです。

原告の許可を得て転載します。ぜひご一読下さい。

意見陳述書

2013年12月3日

名古屋地方裁判所民事第10部合議A係 御中

原告5番

1 今回、私はこの裁判で自分の声を伝えられて光栄に思います。

⑴ 私は在日三世です。2009年に愛知朝鮮中高級学校高級部に進み、今年3月に卒業しました。現在は、ある大学の1年生として勉強をしています。

⑵ 私ははじめ、日本の保育園に通っていました。名前は通名ではなく、本名である朝鮮の名前を使っていたのですが、他の子たちとイントネーションの全く違う自分の名前に、コンプレックスを感じていました。その後も長らくの間、「変わっている」自分の名前に対するコンプレックスが消えることはありませんでした。名前についてのうっぷんを、父母に漏らしたことも多々あります。そのたびに父と母は、私にこう言ったのです。

「その名前は、ハンメ、ウェハンメ(父方の祖母、母方の祖母の方言での呼び名)の名前から一文字ずつ取って付けたの。一世のハンメたちの名前なの。」このように幼い頃から私は、自分のアイデンティティの基盤を、家庭教育を通して養ってきました。

名前の事から始まって、周りと自分との小さな違いを発見した時から今まで、私は日本社会の中で、「日本人である周りの人と、朝鮮人である自分」という違いを常に感じながら生きてきました。

⑶ 私が原告になろうと最終的に決心したのは、昨年末、高校3年生の卒業をひかえた時期です。原告になるという事が決して軽い問題ではないということ、簡単に考えてはいけないという事も聞きました。正直たくさん悩みました。自分が原告になる事によって、将来になにか支障があるのではないか、在日朝鮮人だからと嫌がらせなどされないだろうか、もちろん、自分が皆の代表として法廷に立ち、意見をしっかりと述べられるのだろうか、という不安からくる悩みもありました。

卒業を目前に、3年間の思い出を振り返ってみることが多くなりました。沢山の同胞たちと一緒に集まって行われた運動会や学園祭、クラブ活動で汗を流した事、毎日笑いながら、時々涙も流し、充実した生活をおくりました。

冒頭でもアイデンティティの事についてすこし述べましたが、朝鮮学校での民族教育は、家庭教育によって養われていったアイデンティティを確固たるものにしてくれました。朝鮮の言葉や文化、歴史・・・これらを勉強するにつれて私は、朝鮮語が大好きになり、朝鮮の歌や舞踊を楽しみ、朝鮮の歴史をもっと知りたくなりました。そして「自分が何者であるか」をしっかりと認識するようになり、自分の民族について、自分自身について誇りを持つようになりました。もちろん、自分の名前にも。

⑷ しかし、そんな貴重な学校生活の隣には、常に、ウリハッキョ-朝鮮学校を高校無償化制度の対象から除外しようとする日本政府との闘争がありました。そして南北に分断された祖国に翻弄されている現実がありました。思い出せば思い出すほど、時間がたてば経つほどに、日本の人たちへ私たち朝鮮学生の気持ちを率直に伝えたいという気持ちは強くなって行きました。したがってそうした私の率直な気持ちと良心に従い、無償化裁判の原告になる事、今日この場に立つ事を決心しました。

2 3年間に及ぶ無償化闘争を通して、私は2つの矛盾を感じました。

⑴ 第一は、「偏見」による差別です。

高校無償化適用の為の街頭宣伝は私にとって、無償化適用を訴える場でもあり、たくさんの日本の方々と接する機会でもありました。3年間を通して、幾度街頭に立ったかは覚えていません。しかしこの事だけはずっと記憶に残っています。高校1年の夏でした。その日私は初めて街頭に立ち、署名活動に参加しました。快く署名に応じてくれて、また、「頑張ってね。」と声を掛けてくれる日本の方、たまに「うるさい、帰れ。」などと罵声を浴びせてくる人もいました。そんな中でも私がいちばん印象に残った言葉があります。それはこんなものでした。

「朝鮮学校?なにそれ。」

その時はただ、こんなに頑張っているのに、こんなに訴えているのに、自分たちの事を何も知らない人がいるんだ、という虚無感しかありませんでした。しかしそれは、その後約3年間の高校生活、そして今日までの大学生活の中で片時も忘れることのできない追憶となり、深い傷となりました。どうしてでしょうか。自身が成長してゆくにつれ、結局、「頑張ってね。」という言葉も、「うるさい、帰れ。」という言葉も本質は一緒なんだということに気付いてしまったのです。

私の祖父は、植民地時代、当時16歳のときに「日本へ行ったら勉強できる」とだまされ日本に来ました。祖父は南北統一がなされたら祖国へ帰るんだと毎日言っていましたが、それは叶わず、私が小さいころに亡くなりました。南北統一もいまだ成されていません。祖父だけではありません。日本の植民地支配により、沢山の在日朝鮮人1世たちは、こうして日本へ渡らざるを得なかったのです。私たち在日朝鮮人は、皆、そんな彼らの子孫です。言わば過去の日本帝国の朝鮮半島植民地支配による負の遺産なのです。それ以外の何ものでもありません。スパイでも工作員でもありません。それは日本の過去の歴史清算がなされていないがゆえの、国民たちの間違った歴史認識による「偏見」です。

在日朝鮮人の歴史は、朝鮮人だけの歴史だと言えるのでしょうか?

いいえ、朝鮮があってこその、日本があってこその歴史であり、朝鮮人がいて、日本人がいたからこそ、在日朝鮮人が存在するのだと私は思います。だから、高校無償化問題とは、決して日本の人たちに関係のない事ではないのです。だけど、たくさんの方々がこの事実を知らないのです。日本の教育現場では、日本とアジアとの歴史や、私たちの存在について、教えられていないのでしょう。したがって私は「頑張ってね」という応援の言葉にも、どこか第三者としての目線を感じて、ただ可哀想だからと同情されているような気がして、よそよそしさを感じるようになりました。「うるさい、帰れ」この言葉も同じです。正しい歴史認識がなされていたなら、こんな声は出ますでしょうか?「偏見」から誤解が生じ、差別が生じるのです。ここに矛盾を感じるのです。

⑵ 第二は、「差別」を当たり前の事だと受け入れてしまっている在日朝鮮人自身の問題です。

よく無償化闘争のキャッチフレーズに、こんなフレーズがあります。「私たちも、日本の高校生と何も変わらない学生です。」というものです。たしかに大まかなカテゴリの中では「高校生」という風に、お互い何も変わりありません。しかし朝鮮学生は、明らかに日本学生と違います。私たちの国語は朝鮮語です。朝鮮の歴史や文化を学んでいます。女学生らは制服としてチマ・チョゴリを身にまとい、食堂にはキムチが常備されています。「国語が朝鮮語」このひとつを取っても、もうその時点で違うのです。その違いを主張せず同じだと言う、同じだと言わないと認めてもらえない、みんなと違うから差別があって当たり前なんだ、そんな「日本社会からの同化圧力にしたがわなければならない」という考え方が今、在日朝鮮人自身の中にも存在してしまっているのです。無償化闘争を通して、日本社会におけるマイノリティである在日朝鮮人が、己の自主権、つまり「他の人から介入を受けず、自分(たち)のありようについて自分(たち)で決める。」ということ、「在日朝鮮人が在日朝鮮人として、日本社会の中で堂々と生きること」を訴えるということは、マジョリティである日本人への「同化」に反対するという事です。ですが、「違う」という事を主張せず、むしろ「何も変わらないから認めてください。」という風にマジョリティである日本人におもねるということは、本質的には「同化」となにも変わらないのです。「同化」の方法で、自主権を主張する、これは明らかな矛盾です。

⑶ 私が感じているこの2つの矛盾の根本原因は、同一のものだと考えます。それがまさしく、日本の社会構造です。「誤解や偏見、差別を黙認する-他を認めない」差別主義社会です。私は、この差別主義社会を成り立たせる極めて重要な一要素は、「無知」だと思います。

朝鮮学校は、総連系の学校だから、「北朝鮮」と連携を持っているから無償化を適用できない、という「メジャーな言い訳」があります。この言い訳こそ、「無知」による偏見だと言えます。

高3のとき、ちょうど高校無償化を朝鮮学校にも適用させるための緊急集会に参加した帰り、私がチョゴリを着て地下鉄に乗っていると、とある日本の人からの変な視線をずっと感じました。「目があってしまったので怖いな。」と思っていると、案の定、「北朝鮮人の野郎が、何が無償化だ。反日教育なんてとっととやめちまえ。近寄るな。」といわれました。それに対して、怖くてなにも言い返せなかった自分が悔しかったです。

私は、祖国である朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」といいます)が大好きです。これは、実際に祖国を訪問して覚えた感情です。私は民族教育の過程で、3度にわたり「朝鮮」を訪問しました。3度の訪問の中で一番印象にのこっているもの、それは、祖国-「朝鮮」の真の姿です。日本のメディアによるバッシングとは裏腹に、「朝鮮」の人々は皆あたたかく、綺麗でした。笑顔がとっても眩しいのです。しかし、私自身日本社会の中で暮らしながら、もし、こうして祖国を訪問していなかったなら、朝鮮学校で、「朝鮮」について学んでいなかったなら、決してこんな感情は抱かなかったでしょう。祖国である「朝鮮」のことを知ったから、メディアによるバッシングも関係なしに、好きになったのです。歴史を学ぶ事により、私は「周りと違っていいんだ。」という事に気付いたのです。これははたして反日教育なのでしょうか。

皆が同じでなければならないのですか?皆が同じ考えをしなければならないのですか?「朝鮮」を好きじゃいけないのですか?いいえ、違うと思います。10人いれば、10通りの顔があり、考えがあり、感情があります。それが100人、ひいては1億人に至ろうとも、この原理は全く同じです。だから、「朝鮮」を好きな人がいて当たり前なのです。皆がみんな、思う事、考えることは違うのです。これを詩人、金子みすゞも歌いました。「みんな違ってみんないい。」と。

違いを認め合える社会、そうして個々人の自主権が保障される社会こそが、真の「美しい国」だと思います。その第一歩が、「知る事」から始まるのではないでしょうか。これは高校無償化問題だけではなく、全てのことに関係していることだと思います。

「朝鮮」のことを本当に知っていますか?

在日朝鮮人のことをどれだけ知っていますか?

朝鮮学校のことを知っていますか?

3 私は勉強がしたくてたまりません。今日、今この時間にも大学では講義が行われています。なぜ私がそんな大事な時間を割いて、自分のことを、わざわざさらけ出さなければいけないのですか。まだ親友にも、大切な人たちにも言った事がない自分のプライベートを、この場で、裁判所で、発信しなければならないのですか。

しかし、ここで私が逃げたら、この「2つの矛盾」が解決することはありません。在日朝鮮人の自主権はありません。これから育ってゆく在日朝鮮人の子どもたちの未来に影が差してしまいます。1世のハルベ(おじいちゃん)、ハンメ(おばあちゃん)達も、自身の傷をさらけ出して、子孫たちに植民地時代のことを話してくれました。2世であるアボジ(おとうさん)、オンマ(おかあさん)も、日本の植民地支配のこと、南北分断のことを幼い時から教えてくれて、3世である私を立派な在日朝鮮人として育ててくれました。ウリハッキョ-朝鮮学校は、私に「自分が何者であるか」を教えてくれました。そんな私の、今のフィールドはここ、法廷です。

正直、まだ怖いです。ですが、この裁判に勝利する時、この怖さや不安は無くなるでしょう。その時が来ると信じると、この裁判で自分の声を伝えられることを、むしろ光栄に思えるのです。

私が今日伝えたいのはただ一つだけです。「朝鮮」のこと、在日朝鮮人のこと、ウリハッキョ-朝鮮学校のことを知ってください、知ろうとしてください。これだけです。「無知」により傷つく人を、もうこれ以上増やしたくありません。良心のまま、私たちの心の声に一度、耳を傾けてみてください。私たち朝鮮学生は、この声がみなさんに届くまで、叫び続けます。強く、強く闘い続けます。

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